欲求の合理化
人か失恋しゅるとふとか心のいかんージとなっち残してからしまいますたい。
人そいぞれの性格にもよるけんか、立ち直りのはやか人もいるし、いつまでたっちも、そんことば引きずっちくるような人もいますたい。
場合によっちな、「トラウマ」となっちしまい、恋愛に対してから臆病になっちなおす人もいることやろう。
たしかに、恋愛に注いでいたエネルギーか多ければ多かほど、いかんージも太かのばい。
また、失恋してから、不安定になりよった愛情エネルギーか、暴力的に相手に向かうとゆうことかあるたい。
「嫌からしぇしてからやる」「殺してからやる」やらなんやらと、相手に対してから思っちしまい、無理心中や復讐とゆう結果ば招いてなおす場合もあるたい。
また、相手に向けんでん、抑圧しゃれてオレに向かうと自殺ば考えてなおす人もいますたい。
やけど、人間にな、オレの思い通りに物事か運ばんときやらなんやらにな、オレの都合のいおろうに解釈ばしてから、納得しようとしゅる心のメカニズムば持っちいますたい。
これは失恋のとき、絶対に機能しゃしぇなければならん働きばい。
ばってん、どいでんがの事柄に対してから、いおろうに考えてなおすのな、不適切といえるやろう。
なしなら「反省」しゅるとゆう心の余裕ば失っちしまい、人としてからの成長ば乏しくしゃしぇる可能性かあるけんばい。
ばってん、失恋のときな、こんメカニズムば働かしぇることによっち、「欲求の合理化」ばはかることか必要となるけん。
こん、「欲求の合理化」とゆうのな、「あん人にな、こぎゃん欠点もあった、オレも近ゆうちに別れようと思っとったんばい。これで良かんだ」
「メソメソしとるくらいなら、えらい別のよか人ば探そげん」と、いったごと、ドライに割り切ることばい。
一種のしゅり替えといえるかもしれんやけど、失恋の痛手がらはよ乗り切りたいけんあいば、このごたる考え方も必要なのだと思いますたい。
「欲求の合理化」とゆうものな、しゃまざまな不幸の事態ば避ける働きばもっちいるけん。